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鍼灸師もどきの鍼灸師

2018/05/20
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東洋療法ケアセンター 小川東洋鍼灸院 院長の齊藤です。新たに開くホームページですので開設者の出自を知って頂く意味からも、私の今まで歩んできた履歴などから書いて行こうと思います。お付き合い頂ければ幸いです。

私が医療(医学)人として歩を進め始めたのは今から三十数年前に遡ります。病理学という基礎医学の世界に身を置くことから始まり、都心にある某医科大学病理学教室の末席に存在しておりました。

病理学という分野は医療の世界では一般にはあまり知られていないかもしれませんが、とても重要な仕事をしています。例えば、検査や手術で取り出された組織を顕微鏡で調べることで病気の診断をし、また不幸にして亡くなられた患者様を剖検(病理解剖)という手段で病気の進展と死亡までの経緯を明らかにすることで医療に貢献しています。そしてそのような仕事を手段に人の病気の研究をしているのですが、私が在籍していた当時、CTやMRIといった検査機器はまだ稼働を始めたばかりという時代背景とも相俟って、剖検という手段が特に重要視され盛んに実施されていた時期でした。

そのため当然のように剖検数は多く、私が在籍していた病理学教室でも年間350例~400例以上の剖検があり、教室員は正に剖検漬けといった言葉がピッタリくるような毎日だったように思います。まだ駆け出しの一年目の頃、毎日出会う患者様が当たり前ですが亡くなられた方ばかりで、普通に生きて居られる方を見ると何かとても幸運な方のように見えるような心理状態になったことを思い出します。(苦笑)そんな過酷とも言えるような毎日を過ごせたことが後に鍼灸療法などという手法を用いる臨床の場で生きることになる私にとって何物にも代えられない経験という財産になる貴重な時間だったのですが、残念ながらその当時は知る由もなく目の前のノルマを消化することに苦闘する毎日だったように思います。

そんな毎日を10年間、教室の体制変化(教授の退任)を機に病理学教室を辞することになったのですが、その際自分が携わった剖検数を改めて数えてみました。するとその数何と1542例、感謝というだけでは表しきれない程の内容が充満した数字でした。10年間ご指導頂いた教室の先輩諸先生方に感謝するとともに、特に病理解剖に身を挺してご教示頂いた1542名の患者様は私にとって医学界での最初の師であり、足を向けて寝られない存在となったのです。

大事な財産として取ってあるその当時の剖検記録を今でも時々読み返すことがあります。前記のような方法論と視点で病気を診てきた人間が非常に素朴な鍼灸医学という世界で生きることになった時、自分にとって病理学という存在はどんなものであったのかを改めて考えてみたことがあります。すると、病理学という世界で学べた有難さと、将来を意図して進んだ訳ではなかったからこそ尚、病理学という世界に進めた幸運を実感し直すことが出来たのです。 なぜか?と言えば、病理学は人間の病気というものの成り立ちを明らかにすることを目的とした学問ですから、病気というものを全て対象にします。そのため殆んど全ての科の病気を診ることになり、事実、病理学教室在籍中の10年で殆んどの科の患者様と向き合うことが出来ましたしその病態を診ることが出来ました。そのため広範な病気の知見が得られたことと、そのことで病気に対する対応の幅が広がり、それが現在の私にとっての強みであり最大無二の武器となっています。

ただそういう姿勢が出来上がってしまってから鍼灸師という資格を得るための教育機関に進んだためか、そこで受けた東洋医学概論や経穴学など東洋医学的科目の内容は、右から入っては直ぐに左から出ていくといった具合で、とうとう何も身に付きませんでした。ですから今でも患者様を診る意識は西洋医学的視点であり、治療手段の鍼はあくまでも道具として使っているに過ぎません。ホームページタイトルの「鍼灸師もどきの鍼灸師」は自虐的なものではなく「実感」です。(苦笑)

そんな治療スタイルで診療すること二十数年、鍼灸師もどきの異端児として存在してきました。歩んできた履歴を正直に書いたつもりです。(騙されたと思って頂きたくないために・・・)

次回からはペインクリニックと痛みを中心に書いて行こうと思っています。では・・・